マイ箸と食事作法
山に竹が繁茂し整備が大変になって困る、なんて話は田舎に行けばよく耳にしますが、ぼくの住んでいる地域も例にもれず場所によって放置竹林なんかがあったりします。
今でこそ使う事は殆どなくなりましたが、かつて竹は様々な身の回りの道具を作るための重要な材料でした。竹の種類によって細工の向き不向きはありますが、籠、笊、背負子、漁具から篠笛、木樽の箍(たが)などなど利用法は多岐にわたります。
竹の箸 箸袋は妻が作ってくれました。京都の「ちんぎれや」という古裂の店で買った明治時代の布で作っています。
その中でも特に簡単に作れて、普段の利用頻度の高いものに、箸があります。ぼくも自分で竹を削って作った竹箸をいくつか持っており、外で弁当を食べる時なんかに使っています。
黒竹の枝を使って作った箸
日本の食事作法のなかでも上手に箸を使うことは重要なポイントになっています。コミュニケーションの場でもある「食事」において周りの者に不快な思いをさせないため、ということがよく挙げられる理由の一つです。ただ、その根本として、箸は、食べ物の命を自分に運び、命を繋ぐための大切な道具であるから、粗末に扱ってはいけないという意識があるのだろうと、ぼくは思っています。
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一方で箸などの道具を使わずに手で直接食物を掴み食べる「手食文化」というものがあります。イスラム圏やインド圏のイメージが強い文化ですが、ヨーロッパや日本でもかつては手食文化があり、寿司やおにぎりなんかはその名残だろうと考えられているそうです。
「手で食べる事はとてもいいことだ。スプーンなどを使って、味覚や視覚だけで食べ物を感じているだけでは食べ物のスピリットは体に入っていかない。食べ物を手で触って食べることで、その食べ物のスピリットを体に取り入れる事ができるんだ。」と話しておられました。味覚、嗅覚、視覚だけではなく、触覚を動員することも「食べる」行為として大事だというのです。
それは手食文化に対する一個人の見解かもしれませんが、食にまつわる文化は形は違えどその根底には食物に対する畏敬の念が込められていると感じさせられた出来事です。他人に文化・作法として形を教える機会はありますが、その根底に流れる大事な意味に敏感でありたいものです。
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